今是昨非



人生一度きり、後悔なく生きよう


よく聞く言葉ではあるが、果たしてどれだけの人々が達成できているのか。
大小はあれど、恐らくほとんどの人は達成できていないのではないか。





Life is series of choices.

シェイクスピアの有名な名言ですね。



進路、仕事、友達付き合いや恋愛、果ては食事まで。
全ての選択が今後の人生を左右しています。


人生は千差万別、数学の計算のように明確な答えは教科書には載っていない。自身の選択が本当に正しいのかなんてきっと誰にも分からない。




俺にもあの時ああしていれば…って後悔がパッと何個も思いつきます。



中学でそれまで続けていた体操を辞めてテニス部に入ったら、顧問が暴力教師で人格が歪んだこと。

ネットの海に溺れて学力が大幅に低下し、偏差値が10も下の高校に入ったこと。

一瞬目を離した隙に、教え子が怪我をして頭から血が噴水のように噴き出していたこと。

大切だった彼女を傷つけ別れてしまったこと。



〜唐突な自分語り終了〜




でも過去は過去、今更変えることも出来ない。過去によって創り上げられた自分を受け入れるしかないんですよね。

それに全てが失敗なんてことはありません。


クソだった顧問のおかげで自分は優しい先生になろうと思えたし、偏差値は下がったけど恩師と呼べる存在に出会えた。
生徒の怪我と別れは単純に後悔してるけどw




でも過去の後悔のネガティブではなくポジティブに捉えることもできます。
痛い(いい)経験になった、次に活かそうと。

人間には学び考える力がある。
選択→結果の繰り返しの中で、判断力が養われていくんじゃないでしょうか。






また、判断をするためには、自分の中に軸となる考え方が存在しないとブレてしまいますよね。



多くの人がそうだろうけど、俺の場合は「人として正しいかどうか」です。

子どもは人を見る目があるからいい先生、悪い先生を一瞬で見抜きます。日頃から生徒に誇れない行動をしていると、必ず指導にも綻びが出るからね。

あともう一つは「社会貢献」
これは人それぞれだろうけど、俺は自分が好きなようにして終わる人生よりも、誰かの役に立って死にたいと思ってます。
職種は違えど、社会人ってそういうことだと思う。その中での大きな選択が先生になるって事だったんですね、子は未来を担う国の宝ですので。





自分が人生で培ってきた経験と価値観の軸を基に選択することによって、少しずつ後悔を減らして思い描く未来に向かっていけるんじゃないでしょうか。




それでも学生のうちはやりたい事が見つかってなかったり、自分の理想の将来像はなかなか分からないですよね。

それは単純に人生経験が少ないからだと思います。


俺だって昔はまさか先生になるなんて思ってもなかったし、なりたいとすら思ってもいなかった。なんとなく理数系の大学に進んで、なんとなくサラリーマンになるんだろうなって。



でも高校でたくさん勉強して、様々な価値観や人と出会い、ようやくやりたい事が見つかって。


学校で習う教科だけじゃなくてもいい、学ぶ事は未来の選択肢を大きく広げてくれるし、必ず人生の糧になる。




俺は幸いにも高校卒業までに体育の先生になりたいって理想の未来が見えたから、大学で勉強して中高の教員免許も取れた。
トレーナー科目を選択してスポーツジムでバイトして、体に関する知識もある程度ついた。

この経験は本当に貴重だったなって思える。



それでもたくさん後悔してるんです!
だから今学校で学べる環境にいる人たちにはなるべく後悔してほしくないんですね。


特に先生って職業に触れたからこそ分かる、彼らは本当にその分野においてのエキスパートです。
俺は当時はなかなかそう思えなかったけど、彼らから学ぶことが出来ることはなんて貴重な時間なんだ、そう思えたら勝ちです。



渇して井を穿つ、ただなんとなく生きてたら卒業しても何も持ってない自分で社会に放り出されることになるよ。



所詮俺も低俗な人間だけど、悩んでいる人は少しでも参考にしてくれればなと思います。






って真面目に書いたけどよ、読んでっか?
おいテメェ、テメェだよ草薙。



ネトナン、ストナン、は???
夜の男になりたい、は?????



わかるよ。
大学生になったし女遊びしたいよな。モテたいよな。俺は分かんないけど。
コロナのせいで上手くいかないよな。知らんけど。



ナンパの全てを否定はしねぇよ。俺はしないけど。
ナンパって選択で運命的な出会いがあるかもしれないし、その経験が今後の人生に何かしらいい影響を与えるかもしれない。俺はしないけど。



俺草薙の人となりはなんも知らねえよ。
でも常識はあると思ってんだよ。




草薙の常識の中で、胸に手を当てて考えてみてくれよ。


いい歳してナンパとか語ってる大人、どう思う?
いい歳してナンパにエネルギー、いや貴重な人生を費やしてる大人、どう思う??
ご自慢のナンパテクニック(笑)を有料ノートで売っちゃう大人、どう思う???
そんなくだらねぇもん買っちゃうやつら、どう思う????



ギャルとOFUPAKOできた、それは大層なことですよ。
でもそんな刹那的な快楽求める前にやることあんだろうがよ…

彼女欲しいって言ってたよな?
そんな小手先の技術で彼女出来たって内面に魅力がなきゃ意味ねぇだろうがよ…



口悪いかもしれねぇけど、俺ミソキャスで草薙が一番好きなんだよ。なんか分からんけど。



出会いの場はナンパだけじゃないし、これだけ言ってもどうしても女も求めるなら俺も考えるよ。


だからよ、ナンパ師とかいうくだらねぇ大人の戯言に騙される前に、魅力的になる努力をしようぜ…

そんでよぉ、ナンパ師とかいうくだらねぇ人種を一緒に笑い飛ばそうぜ。お前いい歳してまだ""そこ""かよwwwって…




Wake up!Kusanagi
いつまでも待ってっから。



達也より

ReLIFE




明日にはもう   誰もいなくなって

孤独とも違う震えを知る朝が来る

ただ愛しい別れの日に


振り向かないで行かなくちゃ

またいつか   なんてなくても

僕らは覚えている   内緒の暗号も

放課後にしかない茜の空も







拙者、捻くれ者なのでハッピーエンドで終わらない鬱アニメ大好き侍と申す者。義によって助太刀いたす!



なんですが、今回は自分の趣向とは違うReLIFEのアニメを全話視聴しました


感動のあまり心を突き動かされ心肺停止してしまい、先ほどまで意識を失っていました

モストエモーショナルアニメすぎるので紹介したいと思います


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あらすじ


""ある悩みを抱えた27歳の冴えない青年・海崎新太が、突如現れた謎の男の手により高校生の見た目に若返り、実験的にもう一度学園生活をやり直すというSF青春ラブストーリー""




この時点で既にエモい臭いが漂ってきますね?

Wikiにもう少し詳しく書いてあるけど登場人物の欄は見ないでください、普通にネタバレしてきます


これWikiあるあるなんでお気をつけください、俺はこれで『ぼくらの』のネタバレ食らって死にました





このアニメの何がエモいのかを紹介したいと思います






①「単なる過去の疑似体験ではない」



人間誰しも過去に戻りたい、やり直したいと思ったことはあると思います。私は思いました。

そういう時って過去にタイムスリップするストーリーに自分を重ねてエモくなりますよね?私はなります。



でもReLIFEはちょっと毛色が違います。



主人公の新太は薬の効果によって10年前(高校三年生)の姿に戻りますが、過去に戻ることはできません。あの頃の姿で今をやり直すんです←ここエモポイント





しかもReLIFEには一年が経ち卒業したら皆の記憶から自分が消えるという残酷な制約あります




あっ、これ泣かせにきてるやつだ…

中盤で最終回を想像してエモーショナルティアー流れるやつだ…


今から想像して悲しくなりますね?その想像の5倍は胸が苦しくなります








ちなみにクソ余談なんですけど、モストエモーショナルティアー、ノスタルジック部門優勝の作品にクレヨンしんちゃんのオトナ帝国があるじゃないですか


これって過去に戻りたくても未来を生きる事を決めたってハッピーエンドっぽいけど、実のところそうとは言い切れないですよね


未来を生きる事を決意したのではなく、過去を捨てなければならない諦め、ひろしの葛藤に涙する映画じゃないですか



その点ReLIFEは残酷な制約があってもすっきりと終わるので安心して観ることができます



オトナ帝国見てない人は非国民なんで今すぐ観てください

それでも分かんなかったらコロコロコミックの熱血漫画とか読んで泣いてればいいと思います、コロッケとかオススメ








②キャラ設定が秀逸



一部のモブを除いて、主要人物は全員魅力的な人柄の持ち主ですが、全員にコンプレックスがあります


勉強は得意だが、人付き合いが苦手で友達ができない人

努力家で何事にも一所懸命だが、プライドが高く何でも一番になれない自分を惨めに思う人

正義感が強く真面目だが、自分の行いで大切な人を失ってしまった人


皆それぞれ黒い部分を抱えています



そんな人たちが心をぶつけ、時にはすれ違いながらも成長していくんです。まさに青春ですよね?なんかエモそうじゃないですか?






特に私に刺さったのが主人公の新太です


視聴を重なる毎にこの印象は間違いだと気付きますが、新太は側から見たらクズです


就職後に3ヶ月で退社し、田舎の親から仕送りをもらいながらバイト生活

友達には退社の事実を告げず、飲み会はスーツで参加

だらしなく酒もすればタバコもする




そんな彼が大人としてのアドバイスで同級生たちを救っていくのですが、その言葉が全て自分にも突き刺さっていきます


自分ができなかった事を偉そうに言える立場なのか?

社会に馴染めずに逃げてきた自分が?






この姿を見て何かを思い出しませんか?

そう、今現在燻ってる我々のことです


新太の気持ちを思うと胸が苦しくて夜も眠れませんでした(リアルガチ)




①と被るんですけど、こうした関わりの中で、最初はReLIFEの一環として一年無難に過ぎればいいと思っていた新太も変わっていきます


でも関われば関わるほど別れが辛くなる

彼らの大事な青春に穴をあけていいのか?



この葛藤に対する新太の答えも今思い出し泣きしそうになるくらい感動します







③曲が秀逸



説明

PENGUIN RESEARCHのボタンって曲がOPに使われてるんですけど、これがまたいい曲なんです

疾走感のあるロックチューンなんだけど、どこか切なさや儚さを感じるんですよね
それで気になって歌詞見たら卒業の別れを歌った曲で、昔を思い出してエモすぎて細胞レベルで消滅するところでした




あとこのアニメの特徴として、ED曲が特定の回を除いて毎回違います

主人公がMDを持っていて、10年前(高校生時代)によく聴いていた曲がエンディングで流れるって設定なんですけど、これがもうえんんんんんんんんんもいんすよっ!!!



中島美嘉雪の華だったり、CHEMISTRYPIECES OF A DREAMだったり、世代の人にとってはもうハンパなくエモい


しかもどれもその回の内容に合っててこれ狙ってるんすかね?(狙ってます)

個人的にはI WiSHの明日への扉が流れた瞬間にノスタルジックティアーがエンドレスデリュージでした



でもどうせ今の若い子は知らんのだろうな


あいのりとか知ってっか?
CHEMISTRYの堂珍と川畑はオーディションでEXILEのATSUSHIを破ってデビューしたとか知ってっか?
己龍好きなやつは昔武政と参輝が在籍してたクララ零式の方がボーカル下手だけどよっぽどエモかったの知ってっか?エロゲの曲パクって問題になったの知ってっか?


この前25になったら死ぬしかないとか言ってる小童がいたけど


クソガキどもめ、大人なめんな✋


今若い世代の子たちに負けず強く生きようと思いました(投げやり)







振り向かないでもうそこに

少年の永遠は無いから

汚れのない手も   擦り切れる手も

幾度となくこれから探すんだ


さよならなんて似合わない

運命が遠く掛け違えても

僕らを繋ぐ最後の夕焼け

きっと忘れない   全部消えても

ただそれだけは    ほつれない





おーちゃん



形見とて 何かのこさむ 春は花

山ほととぎす 秋はもみぢ葉








先週、おーちゃんが私の母と叔父に看取られ静かに息を引き取った。86歳だった。









おーちゃんというのは私の祖母のことである。

本名に全く関係ないあだ名だが、物心ついた頃からずっとおーちゃんと呼んでいた。


幼い頃の姉か私がおばあちゃんと発音できず、おーちゃんと呼んでいたのだろうか。今となっては分からない。





おーちゃんの家は私の家から徒歩20分程度の場所にあり、毎週のように遊びに行っていた。

いつも優しく可愛がってくれ、おばあちゃんっ子の私はそんなおーちゃんが大好きだった。















おーちゃんは2年ほど前、家の階段で転げ落ちて骨折し、そこからリハビリも上手くいかず歩くことができなくなった。





初めは家族が毎日おーちゃんの家に寝泊まりし看病していたが、皆にも仕事がある。そんな日々も苦しくなり施設に入ることになった。









おーちゃんの家では猫を飼っていた。私のツイッターにも度々登場していたデブ猫、ゆきちゃんである。


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祖父が亡くなり一人暮らしをするおーちゃんにとって、ゆきちゃんは心の支えであった。

初めは細く小さかったゆきちゃんも、おーちゃんがご飯をたくさんあげるからすぐに太ってしまった。




おーちゃんは昔から私たち家族にも食べきれないほどのご飯を振舞ってくれた。

貧しく毎日お腹を空かせている幼少期を過ごした反動から、お腹いっぱい食べてほしいと思うようになったそうだ。



いつも決まってトンカツか天ぷらかすき焼き。おーちゃんの中ではこれがご馳走だったんだろう。

今となっては食べたくても食べられない、代わり映えしない料理に当時ガキンチョだった私は飽き飽きしていた。




そんな事も日記を書いて思い出した。














施設に入った頃は意識もはっきりとしていて、周りのボケてしまった入居者に耐えられずいつも愚痴をこぼしていた。





こんなところじゃ死ねない。

早く家に帰ってゆきこに会いたい。




そう言って泣くおーちゃんに何も言えず、当時の私はお見舞いに行く足が遠のいてしまった。今になって後悔の念に苛まれるも、時間は戻らない。













いつしか自分の現状に諦めがついたのか、文句を言わなくなったおーちゃん。

そこから段々と体力が落ち、ご飯もあまり食べられなくなってきた。





それでも週に一回、車椅子に乗って家族と近所の回転寿司を食べに行った。

3貫程度しか食べられなかったが、それでもおーちゃんは楽しそうだった。











ある日、病院で検査をしたところ、肺と胃にがんが見つかった。

以前見つかり手術したものが転移したらしい。もう出来る治療もほとんどないと宣告された。










余命が宣告された時、2つの選択肢があった。

少しでも長く生きてもらえるよう入院して延命治療をするか、残りの時間を大切にするために施設に戻るか。





母親は後者を選んだ。














母が以前私にポロっと相談してきたことがある。


「私は今までずっとおーちゃんの面倒を見てきた。毎日ガミガミ言われて忙しくても頑張ってきた。だからもういいよね?」




この言葉がいつまでも頭から離れない。



おーちゃんは昔から病気続きの人生だったらしく、母は40年近く看病続きの生活だったらしい。




私は母の選択は間違いだと思わないが、母もこれから自分の選択を悔やみ続けるのかもしれない。











おーちゃんが病院から新たな施設に移ってからはあっという間だった。

口から食事はおろか水も飲むことすら出来なくなり、熱を出し昏睡状態になった。








呼吸器をつけられ息をするだけのおーちゃん。長くても今週の命ですと告げられても、それでも実感が湧かなかった。













一度シャワーを浴びようと自宅に戻ったタイミングで息を引き取った連絡が入った。

死に目に会うことが出来なかった。





なんで急がなかったのか。

なんで風呂に入ろうと思ったのか。

なんでもっとお見舞いに行かなかったのか。

なんで施設に入る前、もっと泊まりにいかなかったのか。

なんであんなに大好きだったおーちゃんなのに自分はこんななんだ。




なんで。なんで。なんで。

悔やんでも悔やみきれない。







それでも、先週の私はまだ実感がなくふわふわした気持ちだった。おーちゃんの体はまだ温かく、生きているようだった。








それから今日のお通夜までずっと心ここに在らず状態が続いていた。

今思うとあり得ないかもしれないが、一人で夜を過ごす気になれず、気を紛らわすために飲みに行ったりもした。死がそこにあるという実感が全くなかった。









今日、棺に入る前に死化粧をし、頭と体を洗い、ネイルもつけてもらったおーちゃん。肌も艶やかで、なんだか生きているみたいだった。






白足袋を履かせるとき、この世のものとは思えぬほど冷たいおーちゃんの足がそこにあった。

文字通り、この世のものではなかった。その時、涙が止まらなくなってしまった。









人はいつ死ぬか分からない。

だから後悔しないように生きよう。



誰の言葉でもないが、誰でも知ってる言葉。







いつか来ることなんて分かっていたのに。

それは間近まで迫っていたのに。

でも私はそれが出来なかった。

生に疎かで死に疎い人間だと痛感させられた。

本当に愚かで惨めで仕方がない。







きっとこの先ずっと後悔して生きていくことになるだろう。


いずれ来る家族の死、友の死。

逃れられぬ死を迎えた時、また同じ過ちを繰り返してしまったらと思うと怖くて仕方がない。
















人はいつ死ぬと思う・・?

心臓を銃で撃ち抜かれた時・・・違う

不治の病に侵された時・・・違う

猛毒のスープを飲んだ時・・・違う!!

・・・人に忘れられた時さ・・・!!





大好きなヒルルクの名言である。








大切な人が亡くなった時、そこに必ず後悔は生まれると思う。

もっとああすれば、こうしていれば。

死にゆく人はこう思っても、残される側は忘れることなんかできない。









そんな私に気を遣ってくれたわけではないが、何をするのが一番の供養になるかという問いに対して、住職さんにありがたいお話をいただいた。







「百ヶ日の事を卒哭期と言うのは知っていますか?哭は声を上げて泣くこと、卒は終えること。悲しみや後悔がたくさんあると思いますが、そればかりが故人を想う事ではありません。想い続けるだけでなく、忘れることも供養なのです。」






自分の事を肯定する気はさらさらないが、この言葉に救われた気がする。









多分世の中には私みたいな愚かな人間がたくさんいると思います。



一度死に対面して悲しみを知ったのに、それが薄れて再び繰り返してしまう。でも、私たちは生きていて、いつも死を実感し続ける事は難しい。





だからこそ生を実感し、感謝を忘れず生きていきたい。この感情が薄れぬよう、このように記録に残し思い返したい。そんな自己満足の日記でした。











祖母の遺影を見て、親戚一同ファンキーな顔してるねと笑ってたけど、元気だった頃を思い出しやっぱり涙が止まりませんでした。



明日の火葬を終えたら、いつもの元気な私に戻りたいと思います。

遺骨を見たらまた悲しくなるのかな、それとも漫画みたいに食べたいって思うのかな。



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