おーちゃん
形見とて 何かのこさむ 春は花
山ほととぎす 秋はもみぢ葉
先週、おーちゃんが私の母と叔父に看取られ静かに息を引き取った。86歳だった。
おーちゃんというのは私の祖母のことである。
本名に全く関係ないあだ名だが、物心ついた頃からずっとおーちゃんと呼んでいた。
幼い頃の姉か私がおばあちゃんと発音できず、おーちゃんと呼んでいたのだろうか。今となっては分からない。
おーちゃんの家は私の家から徒歩20分程度の場所にあり、毎週のように遊びに行っていた。
いつも優しく可愛がってくれ、おばあちゃんっ子の私はそんなおーちゃんが大好きだった。
おーちゃんは2年ほど前、家の階段で転げ落ちて骨折し、そこからリハビリも上手くいかず歩くことができなくなった。
初めは家族が毎日おーちゃんの家に寝泊まりし看病していたが、皆にも仕事がある。そんな日々も苦しくなり施設に入ることになった。
おーちゃんの家では猫を飼っていた。私のツイッターにも度々登場していたデブ猫、ゆきちゃんである。
祖父が亡くなり一人暮らしをするおーちゃんにとって、ゆきちゃんは心の支えであった。
初めは細く小さかったゆきちゃんも、おーちゃんがご飯をたくさんあげるからすぐに太ってしまった。
おーちゃんは昔から私たち家族にも食べきれないほどのご飯を振舞ってくれた。
貧しく毎日お腹を空かせている幼少期を過ごした反動から、お腹いっぱい食べてほしいと思うようになったそうだ。
いつも決まってトンカツか天ぷらかすき焼き。おーちゃんの中ではこれがご馳走だったんだろう。
今となっては食べたくても食べられない、代わり映えしない料理に当時ガキンチョだった私は飽き飽きしていた。
そんな事も日記を書いて思い出した。
施設に入った頃は意識もはっきりとしていて、周りのボケてしまった入居者に耐えられずいつも愚痴をこぼしていた。
こんなところじゃ死ねない。
早く家に帰ってゆきこに会いたい。
そう言って泣くおーちゃんに何も言えず、当時の私はお見舞いに行く足が遠のいてしまった。今になって後悔の念に苛まれるも、時間は戻らない。
いつしか自分の現状に諦めがついたのか、文句を言わなくなったおーちゃん。
そこから段々と体力が落ち、ご飯もあまり食べられなくなってきた。
それでも週に一回、車椅子に乗って家族と近所の回転寿司を食べに行った。
3貫程度しか食べられなかったが、それでもおーちゃんは楽しそうだった。
ある日、病院で検査をしたところ、肺と胃にがんが見つかった。
以前見つかり手術したものが転移したらしい。もう出来る治療もほとんどないと宣告された。
余命が宣告された時、2つの選択肢があった。
少しでも長く生きてもらえるよう入院して延命治療をするか、残りの時間を大切にするために施設に戻るか。
母親は後者を選んだ。
母が以前私にポロっと相談してきたことがある。
「私は今までずっとおーちゃんの面倒を見てきた。毎日ガミガミ言われて忙しくても頑張ってきた。だからもういいよね?」
この言葉がいつまでも頭から離れない。
おーちゃんは昔から病気続きの人生だったらしく、母は40年近く看病続きの生活だったらしい。
私は母の選択は間違いだと思わないが、母もこれから自分の選択を悔やみ続けるのかもしれない。
おーちゃんが病院から新たな施設に移ってからはあっという間だった。
口から食事はおろか水も飲むことすら出来なくなり、熱を出し昏睡状態になった。
呼吸器をつけられ息をするだけのおーちゃん。長くても今週の命ですと告げられても、それでも実感が湧かなかった。
一度シャワーを浴びようと自宅に戻ったタイミングで息を引き取った連絡が入った。
死に目に会うことが出来なかった。
なんで急がなかったのか。
なんで風呂に入ろうと思ったのか。
なんでもっとお見舞いに行かなかったのか。
なんで施設に入る前、もっと泊まりにいかなかったのか。
なんであんなに大好きだったおーちゃんなのに自分はこんななんだ。
なんで。なんで。なんで。
悔やんでも悔やみきれない。
それでも、先週の私はまだ実感がなくふわふわした気持ちだった。おーちゃんの体はまだ温かく、生きているようだった。
それから今日のお通夜までずっと心ここに在らず状態が続いていた。
今思うとあり得ないかもしれないが、一人で夜を過ごす気になれず、気を紛らわすために飲みに行ったりもした。死がそこにあるという実感が全くなかった。
今日、棺に入る前に死化粧をし、頭と体を洗い、ネイルもつけてもらったおーちゃん。肌も艶やかで、なんだか生きているみたいだった。
白足袋を履かせるとき、この世のものとは思えぬほど冷たいおーちゃんの足がそこにあった。
文字通り、この世のものではなかった。その時、涙が止まらなくなってしまった。
人はいつ死ぬか分からない。
だから後悔しないように生きよう。
誰の言葉でもないが、誰でも知ってる言葉。
いつか来ることなんて分かっていたのに。
それは間近まで迫っていたのに。
でも私はそれが出来なかった。
生に疎かで死に疎い人間だと痛感させられた。
本当に愚かで惨めで仕方がない。
きっとこの先ずっと後悔して生きていくことになるだろう。
いずれ来る家族の死、友の死。
逃れられぬ死を迎えた時、また同じ過ちを繰り返してしまったらと思うと怖くて仕方がない。
人はいつ死ぬと思う・・?
心臓を銃で撃ち抜かれた時・・・違う
不治の病に侵された時・・・違う
猛毒のスープを飲んだ時・・・違う!!
・・・人に忘れられた時さ・・・!!
大好きなヒルルクの名言である。
大切な人が亡くなった時、そこに必ず後悔は生まれると思う。
もっとああすれば、こうしていれば。
死にゆく人はこう思っても、残される側は忘れることなんかできない。
そんな私に気を遣ってくれたわけではないが、何をするのが一番の供養になるかという問いに対して、住職さんにありがたいお話をいただいた。
「百ヶ日の事を卒哭期と言うのは知っていますか?哭は声を上げて泣くこと、卒は終えること。悲しみや後悔がたくさんあると思いますが、そればかりが故人を想う事ではありません。想い続けるだけでなく、忘れることも供養なのです。」
自分の事を肯定する気はさらさらないが、この言葉に救われた気がする。
多分世の中には私みたいな愚かな人間がたくさんいると思います。
一度死に対面して悲しみを知ったのに、それが薄れて再び繰り返してしまう。でも、私たちは生きていて、いつも死を実感し続ける事は難しい。
だからこそ生を実感し、感謝を忘れず生きていきたい。この感情が薄れぬよう、このように記録に残し思い返したい。そんな自己満足の日記でした。
祖母の遺影を見て、親戚一同ファンキーな顔してるねと笑ってたけど、元気だった頃を思い出しやっぱり涙が止まりませんでした。
明日の火葬を終えたら、いつもの元気な私に戻りたいと思います。
遺骨を見たらまた悲しくなるのかな、それとも漫画みたいに食べたいって思うのかな。